雑記3

今日の気づき

 ・図書館に来て(手段)勉強する(目的) が 図書館に来る(目的)となっていた.そのためダラダラ勉強してしまっている.また 時間を気にして タスクをここまでやる!という意識が欠けている.その日その日で小さな目標でいいので それを決めてやらないとダラダラしかしない.

 ・昨日は夜飲むストラテラを16時に設定したが 翌朝楽に起床することができなかった.17時に飲んでみることとする.

 また 家に帰ってから おとなしくリラックスしとけばいいのに 気を入れたり抜いたりをした結果 すごく眠るのがしんどかった.(おとなしく睡眠薬に頼った) 「寝る前に単語をやる!」とか「寝る前にメモを見返す!」みたいなことをすると気が張って寝れなくなります.当たり前です.また気を抜いたり入れたりを短時間でスイッチを入れ替えする行為は 生産性を損なうばかりか ものすごく体力を消耗することがわかった.

 ちなみに 入眠するぶんには ストラテラの覚醒効果やカフェインとる時間を気にしなくても 睡眠薬で全てを解決できるんですが やはり眠りが浅い.睡眠薬あるから入眠は困らないとはいえど 覚醒効果のある薬系は本当に飲むタイミングを考えたほうがいいのは確か.

自己分析「人間関係リセット癖」

 書くだけ書いたが 公開するかすごく悩んだ.だけど真実をここに記す.

 

 今の自分の価値観や 大事なこと 大切にしてること 許せないこと それぞれの転機で 気づいてはいないものの 無意識に思っていたこと あるいは忘れていたことを全て思い出して 見つける作業をしています.今の自分は 過去の自分が作り出しているはずです.今の「25歳の自分」から客観的に 過去にあった経験や その判断や決断は 果たして正しかったのだろうか.そのトラウマなどは 若かった当時の感情であり その当時で時が止まっているのだが 今ならどう判断しただろうか などというのを洗いざらい見直しています.

 そうしているうちに気づいたこと

 

・過去 いいことをしたはずなのに 一つでも「やらかしたこと」「トラウマ」みたいなのがあると その事象に関連する記憶は いいことであっても全て「トラウマ」として処理してしまっている.よって 過去は全部自分の中で「否定」していて まるで過去から成長した実感を持てていない.

 なぜ?

 1.完璧主義.何かが欠けてたら認められない.

 →なんで完璧主義になったかは分析できてない.今度考える 

 2.元々がネガティブ.

 →これは幼少期に色々自由にできなかったからである.

 3.トラウマとか嫌なことがあった時に 自分のせいだとか思っていなかった.プライド.自分を守りたかっただけ.

 →自虐入ってるかも.確かにプライド高いけど.そのプライドの根源はどっちかと言うと「人に期待されてるから」って思い続けてたのが大きかったかもしれない.特に親の期待.

 特に顕著に観られるのは 人間関係リセット癖.

 なぜ人間関係をリセットするのか?誰かともつれた時に 相手と本気の喧嘩をして わかりあうことをしなかった.本心から殴り合いをしなかった.相手に嫌われることが嫌だった.とにかく人の目を気にし続けていた.自分の気持ちはわがままだから 伝えたら嫌われる,相手には理解できないと思い込んで かつ 理解してもらう努力すらしなかった.そうしていくうちに,我慢して我慢して自分が壊れそうになったら その場の人間関係をリセットして 次の界隈でまた新しい人たちと遊ぶのが すごく楽だった.

 でも それを繰り返していると そのうち「自分を理解してくれる人は誰もいない」とか「表面上だけしか仲良くできない」自分に気づいた.喧嘩した結果 仲直りして 本当に心が通った経験が今までなかった.なぜか?これもまた 過去の自分に遡って考える.

 中学や小学は,(田舎なので幼稚園から中学までずっと同じメンツ,全員が幼馴染だった.2+6+3 で なんと11年もの付き合いである.それだけあったら みんな仲よかったのだろうか?いや違う,逆に言えば「何か揉め事があったら いやでも仲良くしないとならない」環境だった.でも 当時はみんな幼くて 衝突することが非常に多かったし,何よりひどいのは「人をからかったり嘲笑したりいじめたりして喜ぶ文化があり,特に意味もなく いじめの対象にされる」ことがあった.いじめの対象は 特定の個人じゃなくて 時間の経過とともに他の人に回っていく,ババ抜きのジョーカーみたいなもんで,いじめてる側が逆にいじめられるみたいなことまで起きた.また 村社会なので 恋愛話とかもドロドロとしか言えなかった.付き合ったり別れたりが同じクラス内で発生するんだからめちゃくちゃでしょう.

 こんな環境だと人を信じることができなくなる.仲良くしてたはずなのに突然いじめのターゲットにされたり ターゲットにしたりすると 信頼関係なんてあってないようなもんである.私も 毎日8年近く仲良く遊んでいた友人に 最終的に仲違いを起こして悲しんだ.むしろ,ターゲットにされないように「相手の顔を伺って生きる」能力の方がみっちりついた.(もちろん昔の私は多動児だったのでひどくしつけられたのもある.) 今でも同窓会で付き合いはない.縁を切っている.誰一人信用できなかった.

 25歳になってようやく自分の特性とか価値観とかを客観視できるようになったんじゃ色々と遅すぎた.私が所属するサークルを転々としたり 遊ぶ界隈をコロコロ変えたのは間違いなくこの人間関係リセット癖のせいである.おかげで人脈は広いんだけど,深い付き合いができる友人はほとんどいない気がする.もちろん数人はいるけどな.

 人間関係リセット癖の根本である「嫌われたくない」は危険で,仕事するときも「相手の目や評価を気にして」主体性のないやつ,自分の意見を持たないやつ,周りに流されるやつ,八方美人してるだけのやつになって幸せになれない.研究室で病んでしまった大きな原因のひとつにつながった.「組織の人間が同じ組織の人間に,組織の人間の悪口をいう」というとんでもないところなのだが,私はいい人を演じすぎて「研究室内部で いろんな人から愚痴を聞かされ いろんな人の板挟みにされ 相手の顔を伺って気分を悪くしないために意見に同調し 自分を偽って 無限にストレスが積もる」状況が出来上がったのである.私は人間関係にひどく疲弊し,相手に合わせて自分を偽るうちに自分を失っていたと思う.結果,辛くなりすぎて,人間関係をリセットしたいが故に 研究室をやめる判断につながったのだと思う.

 ここから少し脱線する.インターネットで人間関係は 自分からトラブりに行っていた.正直「ネット上くらい好きなようにさせろ」としか思ってなかった自分の幼稚さが引き金である.言い訳するならばリアルで異常なまでに抑圧されてるから そのストレスの吐き出し先がネットになっていた.その結果いろんな人ともめた.「ネットの繋がりは 繋がりやすく 切れやすい」を精神に,トラブったら問答無用で繋がりを切る,人間関係リセットをしていた.これは 自分が先に関係を切ったりもあるが 相手から関係をいきなり切られることもあった.そのうち もめたことが引き金となって 界隈でやりにくい環境が生まれることになる.当たり前である.ここで私は「ネットですら俺は抑圧するしかないのか」と正直思った.(実際トラブらないように最低限表面上仲良くすることは正しい,だが当時の俺はあまりにも幼い人間だった.ものすごく反省し 今は成長した.)しかし,そのうちなんと「本心で喧嘩する機会が訪れ,その結果さらに仲良くなる」という体験をした.これは自分にとってある意味転機だったと思う.本心から分かり合えた気分を初めて(あるいは久しぶりに)感じた.ああ,仲直りのために建設的な喧嘩をしてもいいんだって.お互いに意見を言い合って,落とし所を探して互いに納得して もう一度絆を深められるのだと.逆に 喧嘩をきっかけに本心から心が通うことがあるのだと.

 じゃあ どうやったら人間関係リセット癖が治るのだろうか?人の顔を伺った浅い付き合いはできるのだが 深い付き合いをするにはどうするのか?おそらく,自分の本心を隠しすぎないこと,もやっときたらちゃんと相手に言うこと,喧嘩しろとは言わないけど,ちゃんと分かり合えることを前提として 揉めたら本心から話し合うことも大切なんだと思う.我慢し続けられるタフな人間でもなかったのだから ちゃんと自分を持って 自分の許せるところ許せないところの線引きを守って行きたい.今からでもいいから 今まで関わってきた人でも これから関わっていく人でも 本心から友達と思える信頼関係を結べるようになりたい.

 

自己分析「主体性のない自分」

 私は大学をどうやって選んだ?高校はどうやって選んだ?大学院の研究室は?そもそもなんで大学に行こうと思った?なぜ修士で止めず 博士まで行こうとした?

 なんと今の今まで「やりたいこと」がない.美味い飯美味い酒と性欲睡眠欲を満たすことはしたい.好きなゲームはしたい.でもそれでは仕事にはなるわけがない.本当に無難に何も考えず行きていくなら 修士で止めて就職して 適当に歯車になっておけば良かったのだ.なぜ博士まで行った?研究者になりたかったから?本心からそう思えたか?研究と言うか学問にはそもそも相当うんざりしてなかったか?

 なぜ研究者になりたいと思ったか.よくよく考えたら,これ自体「人にそう勧められた」からだった.小学校では理科がめっちゃ好きでそういう本めっちゃ読んでた.小学校の先生からは「科学者」が向いてる,それを夢にしろと言われた.俺は当時本当はお寿司屋さんになりたかったのに.当時から多動癖があった俺は先生や親にめちゃくちゃ厳しく躾けられ,人の顔を伺う精神が少しずつ身についていた.いうこと聞かなかったらめちゃくちゃ怒られたし,またいうことを聞いたらすごく褒められて,気分が良かった.特に学校の成績がいいことはとても褒められた.人の言うことを聞くのが正しいと思っていて,あー科学者になればいいんだなーおkーって思い始めた.

 中学では全部の教科を勉強してて,初めは全教科成績が良かった.でもそのうち科学者になるんだったら「理系」じゃないとだめじゃん,理数系ばっかやればよくね?って思い始めた.全部やるのはしんどいし,なら他の時間遊ぼうぜ的な.でも科学者に対し 本当に憧れを持っていたのだろうか?単に言われたから そうなろうと思ったんじゃないだろうか?ちなみに勉強はしていれば褒められたし それでマウント取れたから楽しかった.でも勉強がしたいとは正直思ってなかった.勉強する動機は「それで褒められて 他人より自分が偉いと感じられるから」だった.

 高校は理数科みたいなところに行き 理科部に入った.調べたわけではなく 教師に聞いたらここがいいんじゃねって言われてそこにしたのと,家から比較的通いやすいところだった.理科部は 言われたままにやった.なんか業績もいっぱい取れた.高校では 理数科の代表みたいにされ 中学生を受験生にもつ保護者向けの学校説明会で スピーチみたいなのをさせられるくらいには.正直気分が良かった.科学者に憧れると言うか 科学者を目指す人間はこうも褒められるのか.かっこいいと言われるのか.実験とか研究自体 楽しかったかと言われると 正直家でゲームしたり寝たりする方がはるかに楽しかった.実のところ「熱意はなかった」.そうしてれば「褒められた」.はっきり言って科学者っぽく振舞うことが心地よかったが,心は科学者じゃなかったと思う.

 大学をどう選んだか.「得意なことができるところ」で学部を選び,「家から近い」で大学を選んだ.今通ってる大学は確かに家からめちゃくちゃ近い.親は下宿させてくれなかったので,選べる選択肢はほとんどなかった.もし仮に俺が本当にやりたい職業とか 憧れることがあったなら 奨学金を大量に借りて バイトして 下宿してまでその大学を受けたはずだ.そんな覚悟はなかったし,この時点で夢はなかった.親の顔を伺った.親の意見に反発することはできなかった.親と喧嘩するのが怖かった.家から近くて いい大学に行けば「褒められた」 

 と言っても,はっきり言って幼い頃から「これだ!」と言う職がみつかってる方が希であろう.やりたいことがみつからず大学にきた人間は多数存在すると言うか みんなだいたいそうである.ここまでは別に レールに乗っかってきただけのただの人間であった.ただ 大学に入った時点である程度覚悟して 「自分は何がしたいのか」を考えないと,今まで積み上げてきたキャリアをそのうち捨てることができなくなっていって,本心とは違う選択をとって,「手遅れ」になる.

 問題の本質は,進路決定が全部自分の意思ではないことだ.ここまでの自分は全部「褒められるから〜する」である.なぜか.そもそも誰に褒められるのか.「」である.

 今思えば,大学に入るまで,私はひたすら「親」の顔を伺って行きてきた.兄がいるがめちゃくちゃひどく,常に親に迷惑をかけ続けていた.とても良い反面教師だった.私はそれを見て育ち,絶対にああはならないと心に決めた.だからとにかく兄が持っておらず自分が持っているもので勝負し,兄が好むものは全て嫌った.そして親に迷惑をかけまい,親に怒られないようにしようとずっと心がけた.もちろん物心着いてからである.私は反抗期がなかった.親と喧嘩したことがほとんどない.親は私をいい息子だと思っているだろう.「人の顔を伺って行きて 自分を殺す」価値観が育ったのは 間違いなく家庭環境である.

 また親の顔を伺わざるを得なかった事情もある.田舎に住んでいるから,街まで出ようとすると必ず親の送り迎えが必要だった.自分で足を手に入れるには大学生になるまで待たねばならなかった.それまでの自分は 全く不自由だった.高校の友人と遊ぶにも送り迎えが必要だったし,通勤時間に合わせて行ったり来たりしてたので 学校帰りに少し遊ぶにもすごく気を使った.親に反発したら 送り迎えしてもらえなくなるのは当然で 社会性を失うことに繋がった.そのため 家で遊ぶ趣味がとても捗ったし(サブカルクソオタク),自由にしている人たちが本当に羨ましかった.内心,「親には従うが」「従ってて自由にできないのが嫌だった」のは間違いない.

 こうして主体性が欠けた状態で大学に放り出されたが 運よく「もっと自由にやりたい」と言う気持ちもあり 特にバイクを手に入れてからは やりたいように自由気ままにやっていた.都会で遊ぶのが本当に楽しかった.趣味に関しては本当に充実した.

 だが学問というか自分のキャリアに関しては結局決めきれずにいた.というか大学入ってから困惑した.大学で色々やってるうちに寝に帰る時間が増え,親と話す時間が減ったりした.また親も大学入学後態度が急変し,何も言わなくなったものすごく自由にさせてくれた.いきなり放り出された気分だった.また褒められるような機会も当然減った.ずっと「親は私に何を求めているのだろう」と思っていた.

 キャリアに悩むにつれて,大学の友人からは「研究者向けっぽい」「教授になってそう」とめちゃくちゃ言われた.だから私はそういうのが向いてるのか〜程度の気持ちで 博士課程に行くことを検討した.もちろん博士に行く決断は他にも金銭的であったり社会的アドバンテージなどを考慮してであるが,最も重要だったであろう「研究や学問が楽しい」という観点が全く欠けていたし,「情熱」はなかった.モチベーションは「自己顕示」と「他人からの期待」だけだったのである!研究分野も結局「自分が得意だから」でしかなかったのである!そして最も問題なのは 今までのキャリアとこれからのキャリアの判断の根拠,いわば責任を自分ではなく「周り」に委ねたことである!間違いなく博士課程の難しさに対し「覚悟」やそれを乗り越える「情熱」は伴っていなかった.親は博士への進学に対し何も言わなかった.

 そして,博士課程の厳しさ,主体性のなさ,そして人間関係で疲弊し,鬱になり研究室を休んで家に引きこもりがちになった.親と少し話した際,言った言葉があった.「両親は俺に何を求めていた,どういう人間になって欲しかった」と.親から帰ってきた言葉は「好きなように生きればよかった.とにかく幸せになってくれればよかった」と.俺はこの言葉を聞いて本当に泣いた.肩の荷が降りた気分だったし,自分の心の弱さを痛感した.

 こうして,俺は目が覚めた.

「自分の人生に対し本気で向き合わず 自由にできないからやりたいこともできないのだと思い込み 自由になるための努力を怠り 常に自分の生きがいを人の目だったり他人からの評価に求め続け 責任を人に押し付けようとした自分の心の弱さ」

「自由になりたいと言いつつ 25歳になってまで 自分の生き方を決めてもらうために親にどうあって欲しかったかを聞き 親に依存していた心の弱さ」

 もの凄く後悔した.親の愛情に気づけなかった.自分は多動児だったのだからしつけは厳しいしそりゃいいことできたら褒めるだろう.むしろ言うこと聞いてくれるよう上手く育って安心して「自由にさせれる」と判断されたから 大学からは何も言わず見守ってくれていたのである.なのに今更息子にこんなこと言われたらびっくりだろう.自由に生きることを本当は望んでいたから 生きれるように育てただけだったのだ.私は愛されていてとてもよくしてくれたのだ.バイクを乗るときもすごく反対された.自由にさせたくないからではなくて,送り迎えするから乗るなと.事故って死なれたから困るから.過保護だったから.だから 私が望めば 60を超えてしんどいだろうに 今でも車で遅い時間まで送り迎えしてくれるのだ.あまりにも自分が不甲斐なさすぎた.

 こうして今自己分析しているが,それでもやはり「自分は本当は何がしたかったのか」はまだ見えてこない.でも,一つわかったことは「自分が生まれ持ってきたこの才能で 人を助けたり貢献する」ことが使命っぽいのだ.私は親にもの凄く助けられた.またうつ病で弱ってる時に私を助けてくれた人がたくさんいた.私の至らなさで迷惑をかけた人もたくさんいた.その人たちに感謝しないとならない.就職して立派な人になって恩返ししないとならないと.今の夢は「博士号をとる」とか「研究者」になるとかではなくて,今まで支えてくれた人や期待に答えて感謝するとともに,幸せに立派に生きることになりつつある.「得意だからこの道を進んだ」もこれなら肯定できる気がするが,もう少し考えたいと思う.なんだかんだで化学は好きだったのは間違いないのだから,化学で食っていければいいとは思うけど.